「すべての教育は洗脳である」の要約と感想


堀江貴文さんの「すべての教育は洗脳である」という本を読んだのでその要約と感想を書いていきたいと思います。

このサイトの読者には高校生の方も多いかと思いますが、堀江さんはわかりやすく物事の本質を説明してくれているので、大学受験の前に一度この本を読んでおくことをおすすめします。

もしかしたら、大学ではなくHIUに入学したくなるかもしれません。

「すべての教育は洗脳である」の要約

やりたいことをできていない人は2つに分類できる。
「本当は何もやりたくない人」と「ブレーキがかかっている人」だ。

「本当は何もやりたくない人」はいつか独立したいんだよね〜と夢を語っているのが心地よいだけなので、本当に何もしない。この本を読んでも無駄である。もっと心地の良い自己啓発本を読もう。

「ブレーキがかかっている人」がはじめの一歩を踏み出せない原因は、我慢が何よりも大切だ、会社を辞めたらひどい目にあうのではないかという「洗脳」が原因だ。

そして、この「洗脳」は学校教育によって国家ぐるみで組織的に行われてきた。

「学校教育」の起源は産業革命時のイギリスである。
そこでは正確に仕事をこなす「作業員」が大量に必要だったので、学校教育では生徒に「知識」ではなく「常識」を植えつけた。

学校教育を設計するのは国家である。
国家の目的は納税や出産をきちんとこなす優秀な「国民」の育成。
学校教育では国民意識の形成(法律をきちんと守る、税金を納めるなど)に成功した。

しかし、インターネットの登場によって世界はフラットになり、国家の力も弱まってしまったので学校教育やそれに基づく洗脳はもはや無意味である。

政府「国民の暮らしを豊かにします」
Google「あなたたちの暮らしを劇的に便利にするアプリを開発中です」

どちらに期待をしてしまうかを考えれば、グローバル企業>国家という構図は明らか。

民は3種類にわけられる。
G人材、L人材、N人材である。

G人材…国家に依存しない。変化を好む人たち。国民の数%
L人材…地元のコミュニティを大切にする。マイルドヤンキー的な人たち。

ただ、G人材が金持ちでL人材が貧乏という二項対立になっている訳ではない。
G人材でもお金に執着しない人はたくさんいるし、L人材でも地主のような金持ちはそれなりにいる。

しかし、マイルドヤンキー特有の「地方の安い賃貸に住んで、休日はイオンモールで仲間と買い物を楽しむ」という幸せのモデルは、国の地方交付税交付金のもとに成り立っているので、国家に依存し続けるのはやはり危険である。

一番悲惨なのはG人材にもL人材にもなることができないN人材である。
N人材…「国家」を生きる人材。素晴らしい国ニッポン的な生き方をする人たち。

N人材は仮想敵を探し続ける。国家vs国家という構造はとっくに終わっているのにも関わらず。
2章までの要約はこんな感じです。
続きが気になる方、要約ではなく原文が読みたい方は是非Amazonで購入してみて下さい。個人的には第3章が一番面白かったです。

「すべての教育は洗脳である」の感想

「部活や行事を頑張れる人は大学受験も頑張れる」
「途中で部活を辞めるような根性なしは必ず受験に失敗する」

このような洗脳を自分も学生時代に教師から受けていました。

当時はなんでこんなにも意味不明な理論を主張をするのだろうと疑問に思っていましたが、堀江さんの本を読んで謎が解けました。全ては生徒を洗脳して、教室を、学校をコントロールするためだったのですね。

一昔前までは教師に洗脳されて、「良い大学」からいわゆる「良い企業」に入社して定年まで勤め上げれば幸せになれました。洗脳が役に立った時代も確かにあったのかもしれません。

しかし、「良い大学から良い企業に入って定年まで勤め上げる」という幸せの方程式はもはや破綻しています。

現代で本当に必要なのは
学校のように「常識」を植え付ける教育機関ではなく、学びたいことを生徒が主体的に選択することのできる「オンラインサロン」のような場なのではないでしょうか。

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